- 周りから寄せられる期待を気にしてしまう。
- 応援している仲間が、自分の期待している通りの結果を出してくれず、イライラしてしまう。
『期待』――。
他人から自分へ、その逆に自分から相手に対し「いい未来をもたらしてくれるだろう」という、前向きな予測のこと。
……ですが残念ながら、本当に結果を意識している人にとって、このような”儀式”は全く役に立ちません。
むしろ、気にするほどに自分らしさを失い、成功を遠ざけてしまう……。
そんな恐ろしい感覚でもあるのです。
【結論】『期待』なんて、気にする価値ナシ
『期待』がムダなんて、えらい罰当たりなことを言うねぇー?
そんなことを言っていると、誰からも応援してもらえなくなっちゃうよぉ〜?
真剣に取り組んでいる中で、誰かしらの期待が前向きに作用することは、ほぼ無い――という話です。
期待を目の敵にしたり、期待する人を否定する必要は一切ありません。
ただ、ムダなことに思考を割くぐらいなら、集中を切らすなと言うことです。
周りからの期待は、自分らしい活動のジャマになる
外部から自分に向けられる『期待』――。
これは間違いなく「気にするだけムダ」だと言えるでしょう。
まず、単純にプレッシャーが増えます。
相手が期待する結果が 自身の能力以上のモノだったら、たとえ充分な結果を出せていたって、ガッカリされてしまうでしょう。
それを気にして実力以上にムリをすれば、調子を崩す危険もあります。
運良く、周りが期待した結果を出せたとしても、勝手に期待していた相手が喜ぶだけ……。自分には何の報酬もないどころか、次はさらに難易度の高い結果を期待されかねません。
「目をかけてもらえている」みたいに、下手に出る必要もナシ。
結局は、それぞれが好きで応援してくれているだけに過ぎません。
こちらからは感謝を示す程度で充分。
……もし、それ以上の誠意を求めてくる相手であれば、どんな応援も”余計なお世話”。気に掛ける必要性は一切ないのです。
本当にあなたを応援している人であれば、実力や見合う結果も正しく見極め、ムリな理想を望むことはないでしょう。
自身からの期待は、思考停止につながって危険
自分から発する相手への『期待』――。
残念ながら、これも間違いなくムダです。
期待によって、”相手がいい結果を出す前提”があらゆる思考に刷り込まれてしまいます。
当然、現実で結果が出ないことには妄想でしかありませんが、謎のポジティブ思考が働き、全く失敗を疑わなくなる人もいるほどに強力です。
期待通りにやってくれる――、成功すると信じている――、
だから、自分では何もしなくなる――。
……それで、失敗を引き当ててしまった際には、大惨事となりかねないのです。
失敗へのカバーができなければ、全てが台無しになりかねない
まず単純に、期待していた利益が出ません。失敗ですからね。
さらに失敗による損失が発生したら、それと向き合う必要も出てきます。
期待をするぐらいに心を許した相手ですから、助け船を出してあげたいでしょう。
……しかし、万が一に備えていなかったせいで、フォローしきれず 被害の拡大を防げないかもしれません。
致命的なレベルまで被害が広がってしまえば、その活動を継続することすらも危うくなります。そうなれば、相手とのつながりにも亀裂が入ってしまうかもしれません。
「親しげに期待ばかり吹っ掛けるくせに、ピンチの時には何の助けも出してくれない、都合のいい奴だ!」と思われてしまえば、今まで通りの心地よい関係は 永遠に失われるでしょう。
……どれもこれも、あなたが万が一を警戒して、充分に備えていれば回避できること。
発生した被害に対し スマートに助け舟を出して 早期解決――。
それさえできれば相手との絆は守られるどころか、さらに深いつながりへと発展できるチャンスかもしれません。
いい結果を期待するほどに信頼を寄せている関係なら、より真剣につながりを守るように動くべき。
成功に向けて頑張っている裏で、あなたが縁の下の力持ちとなる――。
これこそ美しい絆だと言えるでしょう。
期待を気にするヒマがあるなら、自分を動かせ
最悪な展開を回避するための方法――。
それは『自分のやるべきことに集中する』……これだけ。
至極当たり前のことですが、誰もがこの当たり前を突き詰めていけば、問題発生の確率は最低限に抑えられます。
まずは徹底的に自身の安定を確保――。信頼し合える人とのつながりを守るための余裕は、その後から生まれるのです。
活動にどっぷり浸って、自己成長だけに集中する
行動を起こすのに、”周囲の期待”は一切必要ありません。
自分の意志のみで黙々淡々と活動に集中……。
この構えさえ崩さないようにすれば、周りからのプレッシャーに影響を受けることは無くなるでしょう。
所詮、周りは傍観者止まり……。どれだけ親しかろうが、熱狂的に期待をかけてこようが、当事者であるあなたの”苦労”も”思い”も理解し切れません。
見世物でもあるまいし、オーディエンスに対してサービスを考える必要もナシ。
自分なりの全力を発揮できれば上出来でしょう。
周りへの期待も、自分が成長すれば湧いてこなくなる
自分から発生する『他者への期待』も、自分が実力を高めていけば 自然と発生しにくくなります。
……というのも、実力さえ充分にあれば、他人を頼る必要性を減らせるから。
必要となるタスクを自身で全て解消できるならば、究極的にはあなた一人でも、仕事を回していけるでしょう。
他人を活動に絡める必要が無くなれば、スケジュールや目標なども自分一人の都合で自由に決められます。
環境を自身にマッチさせやすくなるため、能力の発展もさせやすく、新しい分野や技能を身につける余裕も生みやすい――と、一旦土壌を作ってしまえば、あとはそのまま良い循環に乗れるのも魅力的です。
協力関係にも『期待』はいらない
世の中は”競争”によって成り立ちます。
生き残り続けるには、生み出す価値が優良なだけではダメ。提供する”早さ”についても、同業者に負けないようにする努力が必要です。
そのため、他人と協力する必要性も無視できません。
それぞれの分野に特化した人たちが協力して一つのものを作り上げれば、高品質な価値を、職人一人当たりの手間やコストを少なくしつつ、より早く生産できますからね。
――そのような協力関係の中でも、仲間に対して『期待』を向けがち。
信頼の形として、ある種のマナーと勘違いしている人もいるほどですが、やはりこれもムダでしかありません。
そんなモノをちらつかせるヒマがあるなら、自分の担当箇所に集中してもらう方が、ありがたいでしょう。
自分の持ち場だけは完璧に――。
この構えを組織内の全員が徹底すれば、各々がスムーズに価値を生み出し続けられるハズ。
上っ面だけの絆を示すより、自身が頑張っている姿を見せた方が、組織全体のムードをコントロールできるでしょう。
まとめ
- 期待されていることを気にすれば、余計な考えで集中できなくなり、本来の実力を出せなくなる。
- 周りへの期待も、自分の思考や行動力を鈍らせる原因になる。期待通りにいかなかった際のフォローも満足にできず、被害を大きくしてしまう可能性だってあり得る。
- 自身の活動にのみ集中していれば、周りから向けられる期待は気にならなくなる。また、自分の能力が高まれば、他人を頼る必要性すらなくなり、自然と期待の感情は抑えられる。
『期待』自体は悪いモノではありません。
少なからず 相手のことをポジティブに捉えているから発生するものですからね。
ただ、期待を中心に生きていると、本来の力を出しきれなくなる可能性があることは事実。必要とされる思考ではないのです。
「されて嬉しい、して楽しい。」……もし気にするにしても、これぐらいの感覚で充分でしょう。
やたらと“結果”にこだわっている人は、あなた自体を見ていない可能性があります。
実力や体力と不釣り合いな期待をされている場合も多々あり、なおのことムリして応える義理も無くなりますね。
応援したいと思っていても、口に出したりせず、静かに見守る……。
期待している側の都合で、相手の活動に影響が出ないようにするのもマナーだねぇ〜。
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